北村昌士氏への追悼のような.....

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「想い出」

北村昌士氏が昨年(2006年)6月17日、心臓疾患により逝去された。享年49歳、早世だとも思い、長く生きるには神経とお身体が持たないお方だとも感じる...でも。でも、と私は悲しい。もう一年が経過したけれど、まだ重くのしかかるものは何だろう。YBO2もCANIS LUPASもとても好きだった。日本のインディー・レーベルではトランス・レーベルに最も思い入れがある。既に聴く音楽は洋楽ばかりの私だったけれど、北村さんのレーベルだと思うと肩入れしていたのかもしれない。

相方との共通の友人で元々は音楽活動をしていた素晴らしいギタリストがいる。当時からその友人は数少ない私の好きな世界の理解者のお一人だった。今もとてもお優しく気にかけていて下さる。IL BONEの箕輪さんのドラムが好きだというお話もよくしていた。私はクリス・カトラーやフレッド・フリス達の”レコメンデッド”レーベルの音楽もとても好んでいて、箕輪さんのドラムの音はどこか”プログレ”な匂いがした。PHEWもとてもとても大好きな女性アーティストでPHEWのアルバムでも箕輪さんのドラムは聴け歓喜していた。そして、私が大の『Fool's Mate』の愛読者であることも十分ご存知なお方で、いまだにお会いしてどなたかに紹介して頂く折には決まって、「毎日、『Fool's Mate』を持ち歩いていた子です。」と言われて苦笑する。大阪のエッグプラントだったと思う、CANISと割礼のライヴがあるというので、誘って頂き相方と3人で向かった。初めてあの北村さんのライヴが!(割礼はライヴ後、さらに好きになった)。そんな思いで早目に待ち合わせて方向音痴な私は付いて行った。もうワクワク、ドキドキ♪すると、その友人は楽屋にツカツカと入って行き北村さん(リハーサル中だったかも?)を呼び出してきた。私はその友人に呼ばれ「10年来のファンで、こんなんやけどめっちゃ音楽とか色々詳しいねん。」こんな変な紹介をされて息が止まりそうだった。リハーサルが終わったかどうかも分からないのに、ご丁寧にお辞儀をして下さった「はじめまして、どうもありがとう。」と小さなお声だった。まだ、開演前だったので、出演者の皆様とスタッフの人数をお聞きして、自動販売機で幾種類かの飲料水をお持ちさせて頂いた。私はもうそれで十分で、私如きをわざわざそんな時間の無い時に紹介して頂いて感謝している。

ライヴが終わり、美しい北村さんを追いかける女子ファンも多く”凄い人気!流石だなぁ〜”とやや圧倒されてしまった。すると、今度は相方が「自分、北村さんにサイン貰えたら言うとったやん。行こう!」とタクシーで会場を出られる寸前に、再度ご挨拶させて頂き鞄に入れていた『キングクリムゾン』の本を出して「サインをして頂けますか?」と伝えると、にこやかな表情で「久しぶりに見たよ。こんな本まだ持ってる人がいたんだね。」と。謙虚なお言葉とその繊細な仕草が印象的だった。タクシー内には奥様もお待ちなのであまり時間を取ってはいけないと察知した。そして、他のファンのお声と共にタクシーは去って行った。

ところが、まだ続き、何故か打ち上げに私達3人も同席することになり、私は相方と箕輪さんが両隣、テーブルの真正面には北村さん、そして奥様。反対側の横には友人。相方の横には割礼の宍戸さん・・・何を食べたのかも覚えていない。何処に行ってもマイペースな相方は北村さんにクリムゾンのお話をしたりしている。段々プログレ談義になり知らない名前も出てくるのでただ聞いていた。でも、CANISの音楽はプログレだとライヴを観ても感じたのでそんなお話を皆でしていると、次号にその時の会話らしきことが載っていて嬉しかった♪北村さんは始終あまり何も食べずにウォークマンみたいなもので音楽を聴きながら時折小さなお声でお話されていた。真ん前におられるのにロクに喋ることも出来ない私に、友人が「何か訊きたいことないか?」と言うので、ずっと気になっていたこと、「新しく御本を執筆されるご予定はありますか?」と。バンドやレーベルで多忙な毎日だろうに、間の抜けたことをお聞きした空気だった。でも、私はベースでヴォーカルの北村さんよりも、物書き、北村昌士さんが好きだった。先にあの文章、文体に衝撃を受けたのだから。その上美形なお方と知りボウイ・ファンでもあられるのでますます好きになっていたという感じ。

毎日が精一杯な感じだったと思う。お子様が生まれる直前頃だったし。「書きたいんだけどね...」と仰ったけれど、その後拝読することはなく、北村さんのライナーノーツの付いたレコードや雑誌のテキストなどを今も読み返すことは可能。”活字には力がある”と実感した最初の音楽評論家だったと思う。ご自分では音楽評論家とは思ってもいないようなお方だったと思うけれど。難解な文章は時に頭が割れそうになったこともある。でも、あの伝わるものはなんだろう...なんだったのだろう?もう少し古い世代に、間章氏がおられた。私がブリジット・フォンテーヌを大好きになってゆくきっかけは、そのライナーノーツの間さんの文章の魅力だった。そして、このお方の偉業を後追いした頃にはもうお亡くなりになった。今も活字を読むことが好き。なので、こうして拙い想いでも書き留めたくなるのだろう。ノートはもうごちゃごちゃで何処に何をメモしたか、時に溢れる感情を書きなぐってるような箇所も発見すると、我ながら阿呆だと苦笑する。でも、その時の私の感情や感想なのだから、それも時間は経過すれども、私なのだろう。ピーター・ハミルを教えて下さったお友達のお姉さま。そして、北村さんが敬愛されていたお方でもある。『Fool's Mate』はプログレNEW WAVE〜日本のインディーズ・シーンの最新音楽情報の宝庫だった。『REMIX』になって暫くしてもう、音楽雑誌は買わなくなった、定期的には。そして、北村さんの後に影響というか文章の衝撃や情熱を感じる音楽評論家さんには出会っていない。素晴らしいプロのライター方の評論やレビューは沢山在るけれど、私の個人的な活字の衝撃!それも音楽を通しての。その様なお方はもういない。あまりにも私的な感性や文章との相性だとも思うけれど。浅田彰氏の文章も好きだった。北村さんとのプロジェクトもあったなぁ...と思い出す。

追悼って...とても難しい。人の死はそれぞれ。ただ、好きなお方がだんだんお亡くなりになってゆく。気持ちが追いつかない感じだし、実感が伴わない。早く、大好きなフランスの名優!ジャン=クロード・ブリアリの死も追悼せねば!と映画ブログに2.3行だけ綴って未公開放置したまま...悲しいな。でも、残されたものを大切にしたいと思う。