『ナタリーの朝』 フレッド・コー監督 (1969年)

ナタリーの朝/ME, NATALIE
1969年・アメリカ映画
監督:フレッド・コー 音楽:ヘンリー・マンシーニ 出演:パティ・デューク、ジェームズ・ファレンティノ、マーティン・バルサム、ナンシー・マーチャンド、サロメ・ジェンズ、デボラ・ウィンタース、アル・パチーノ

少女子役時代の、あの『奇跡の人』のヘレン・ケラー役はとても衝撃だった。以前少し書いたのですが補足したいことも色々あるのでまた此方でもと想っているところ。そのパティ・デュークが成長して思春期、青春期を迎えた頃の名作映画『ナタリーの朝』。ナタリーは優しい両親と暮らしているけれど、年頃になりお友達で美人のベティの世話により男の子とデートに行く。ナタリー17歳。大人への階段を上りゆく頃。その時、男の子は美人のベティを見て逃げ腰になってしまう。そしてクラブに行くナタリーはまるで”壁の花”という状態だった。美人でない自分の容姿に対するコンプレックスが募る一方。そのことはもっと幼少の頃から抱いていたナタリー。母親に告げても”大きくなったら美人になるのよ”と言われ信じてもいた。けれど、”ママは嘘つきだわ!”という年頃になったナタリー。子供の頃からナタリーの事を”リトル・プリンセス”と呼んでくれる大好きな叔父さんが10数年の海外生活から戻ってきた。喜ぶナタリーながら、また愕然とすることが。叔父さんが婚約者だというお方が金髪のグラマー美人だったのだ。叔父さんも嘘をついてた!と想ったようだ。

そして、大学に進学したナタリーは造反ゲバ騒動に参加し退学処分を受ける。そして、両親の反対を押し切って家を出てゆくことに。高校の卒業パーティーでも誘ってくれる男の子はいなかった。ナタリーは架空の恋人を夢みたりする。いつか素敵な王子様が私を...といじらしい少女の心。家を出ることはナタリーの自分自身を見つめる機会でもあり、青春の甘酸っぱさや社会の裏切りをも体験することにもなった。初めて、”きみは美しい。個性的で魅力的だ”と言ってくれた男性と出会う、そして初めての恋をする。しかし、ハッピーエンドではなく、またナタリーは両親の家へ戻るのだけれど、”Me, Natalie”と言うナタリーになって。青春時代は自分が見えない時がある輝かしき刻であると想う。感情で突っ走ることができる頃。そこで苦い体験をしてもその時の輝きはバラ色のように感じるのだと。この映画の中でパティ・デュークは表情や巧みな演技で特に前半は本来よりかわいくない少女(可愛くない少女がいるのだろうか...と私はいつも想う、でもコンプレックスが爆弾を抱えているほどに重い時がある、それも少女!)を演じているのだけれど、オーバーアクトでなく自然で上手いなあ~と想う。そして、グリニッジ・ヴィレッジという町を少し羨ましく想えた映画でもある。流れるヘンリー・マンシーニの美しいメロディや風景と共に忘れられない青春映画のひとつ。最初はテレビで観たのだけれど、その時、既に大スターだったアル・パチーノが端役で出ていたのも印象に残ったもの。後に知ったけれど、この映画がアル・パチーノのデビュー作なのだそうだ。