美少年の原点に郷ひろみ(HIROMI GO)あり♪

cinema-chouchou2009-10-18

今日10月18日は郷ひろみの54歳のお誕生日。あまり、これまで郷ひろみについて綴っていない(「ボウイ館」で好きであることは記しているけれど)。1971年(15歳)から1975年までジャニーズに所属。その後、まだ大きなプロダクションではなかった現在のバーニングにも大きな功績を残したお一人だと想う。確か移籍当時のバーニングは所属スターも少なかった。ジャニー喜多川氏のショックは大きなものだったという。そうであろう!そして当の郷ひろみは母親と自殺まで考えたと云われる程の有る事無い事を書き立てるマスコミに傷ついた大きな年(時期)であったようだ。フォーリーブスの弟的な存在としてデビューし、一躍アイドルとなる。スカウトしたのはジャニー氏であるので流石の審美眼である。後に、元フォーリーブス江木俊夫が近年、「今でもジャニーさんの理想とするアイドル像は郷ひろみであろう」と語っている。

いつまでも現役でスターとして生き続ける郷ひろみはストイックである。完璧主義者と云われるお方で潔癖症でもある。天性の素養に努力が積み重なり今日のHIROMI GOがある!時に自己をパロディ化するような時もあるけれど、高慢ちきでは決して無い。デビューはNHK大河ドラマ『新・平家物語』の平経盛役(1972年)。同年の8月にシングル『男の子女の子』で音楽デビュー。その年の日本レコード大賞の新人賞に輝いている。1972年!私にとってこの年は何か運命的なものが幾つも重なっている。デヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』の年でもある。当然、まだ幼少の私はボウイのお名前すら知らない頃。郷ひろみもその新人賞を受賞した年や紅白初出場の1973年は記憶があまりない。小学生になり少女マンガを読み始めるのだけれど、ほぼ同時期に「郷ひろみが好き!」と意識していたようだ。次第にアイドル雑誌も少女マンガと一緒に買うようになった。けれど、お友だちのお姉さんに見せて頂いたりそんな具合だった。

雑誌の人気投票では確か何年もの間1位だった郷ひろみなのに、私の周りはあまりファンがいなかった。きっともう少しお姉さん達に多かったようだ。私はどうしてか、私よりもずっとお兄さんのような郷ひろみが好きだった。初めて、絵の中の人物ではない「可愛い!」と心がトキメク「男の子」は郷ひろみであった。また、クラスの女子や男子から「女みたい」とか「おかまみたい」とからかわれた。けれど、人気投票では1位であることが私の誇りでもあった。ボウイのこともずっと後に「気持ち悪い」とか「おかまロック」とか云われた。私の少女時代はとにかく批判されからかわれることが日常茶飯事であった。母は似ているので、「ひろみは可愛い」と一緒にテレビを観ることができた。父ですら、番組欄を見ては「今夜ひろみが出るぞ」と教えてくれていた程。弟は、今でもひろみが好きで私より最近の曲に詳しい。オールナイト・ニッポンというラジオ番組の第二部は私の地域では電波が悪くラジカセのアンテナをぐるぐる回しながら聞いていた。何曜日だったかな...近田春夫さんの担当日があり、近田さんはひろみのファンなので、ニュー・シングルが発売になる前に逸早く曲を聴かせてくださるのだった。その電波の悪い音源を必死で聴き入っていた私。深夜起きているといけない子供なのに、私は小学生の頃から夜遅くまで起きていた。部屋の電気がついているので、ご近所の方々は私が遅くまで勉強をしているお利口さんだと想っていたようだ。両親も早く寝るので私が遅くまで起きていることなど知らずにいた。

日本で初めて「可愛い!女の子みたいな男の子」としてのアイドルで、かつヒット曲も継続されたのは郷ひろみだろう。今も54歳になられてもカッコイイと想う。ジャニーズは可愛い男の子たちが続々登場するけれど、郷ひろみが移籍してからは冬の時代が暫く続いたのである。私はたのきんやシブガキ隊、少年隊の世代であるのだけれど、その頃は既に洋楽を主に聴いていた。けれど、ひろみと東山紀之(ヒガシ)は好きで今もやはり好きである。嵐だって好き。J-ポップと呼ばれるようになり、日本のロックな音楽が認知されるようになり、すっかり歌謡曲、歌謡番組はなくなってしまった。それでも、郷ひろみは今もその「歌謡界」でスターであり続けていることは凄いと想うのだ。長年ひろみ・ファンであり続けておられる多くの方と私はちょっと違う。けれど、あんなに新曲の発売にワクワクし、テレビに魅入っていた刻。YouTubeで私の記憶に無かった映像があったもので、歓喜していた!その映像を観てやはり「可愛い!」って胸躍る存在であるのだと再認識できた。郷ひろみは俳優としても多くの映画やドラマ、舞台作品がある。映画もほとんど観ているので俳優としても好きなお方。

青年期以降はバラード曲の方が好きな曲が多いかもしれないけれど、今も街中でひろみの声の曲が流れると嬉しくなる。訃報が飛び込んできた!加藤和彦さんの悲しい死の知らせ。嘗ての奥様であり数々の昭和の名曲の作詞をされたお方でもある故・安井かずみさんも好きだった。とても素敵なお方。郷ひろみの初期の名曲の一つに『よろしく哀愁』がある。その作詞をされていたのは安井かずみさん。

まだまだ取り留めの無いことを綴り続けそうなので、また時々記してゆこうと想う。私にとって、間違いなく「アイドル」という存在であったお方、また、今でもやはり好きであるので。「スターがスターであった時代」、「歌謡曲が歌謡曲であった時代」というような時代が好き。スターは彼方に居られるのが美しい☆

★この映像は1972年のデビュー曲『男の子女の子』だけど、1973年の紅白初出場の折の映像。ひろみを肩車している方々の中に、フォーリーブスのメンバーと野口五郎の姿も見れる。西城秀樹はこの年紅白は落ちてしまい翌年から「新御三家」と呼ばれていた三人が揃って出場することになる♪

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