パティ・スミスのポートレートに魅せられて

2007-06-10.jpg

洋楽が好きになり音楽雑誌を読み始めた頃。”音楽専科”という雑誌が好きだったのに廃刊となってしまった。その一冊の中の或る一頁のポートレートが飛び込んで来た。それは、ロバート・メイプルソープが撮ったパティ・スミスだった。私はこうしてまたしても音楽を聴く以前にそのお方の容姿から”好き!”となった。私は女性ながら女性ヴォーカルや女優といった様々なタイプの女性が好きで今に至る。一等大好きなデヴィッド・ボウイさまは性別を超えている超越した存在であり続けている。日本には美輪明宏さまという同じように性別やシャンソンなどのジャンルを超越したお方でどなたとも比較は出来ない大好きな存在がおられる。

何故だか、幼い頃から私はこうした傾向が知らず知らずにある。クラスメイトの女子がある男子生徒をカッコイイと噂話している。ある男性教師を素敵だと楽しそうだったり。私は聞き手で自分からそのように感じた事はなく、感じのいい男の子だな〜とお友達として感じるのみ。そして、これまた幼少の頃からの舶来趣向のせいか、異国の人々に憧れを抱いていた。なので、よく親しい友人には”ロンパリ”とか”ヨーロッパかぶれ”と言われていた。でも、自分でもそうだと思った。

パティ・スミスには少女と大人が同居し、少年のようでもあるけれど限りなく女性的なものを感じる。そのポートレートを見て”美しい!”と思えたのはそんな風に感じたからかもしれない。リアルタイムではないけれど、最初に買ったのは『イースターEaster』1978年の3rd・アルバム。デビューは1975年の『ホーセス』なのでパンク以前のこと。”パンクロックの女王”と謳われるのは然りなのだ。それもデビューは29歳なので決して早くはない。パンクはロンドン発のムーブメントとしてとんでもない衝撃を与えた(リアルタイムの先輩方のお話をお聞きしていると羨ましくなる)。しかし、発はニューヨークなのだ。私はロンドンのクラッシュ以外はほとんどニューヨーク・パンクを先に聴くことになっていった。それはそれらのアーティストの表情や佇まいから感じられるものが私の”好き”な世界を体現しているように映ったのだと思う。パティのレコードを手にする前にランボーを好きになっていた。パティがアルチュール・ランボーを敬愛していると知り、ますます気になる存在となっていった。初期はレニー・ケイ達とのグループ、パティ・スミス・グループという名だった。そして、物静かで神経質そうな美しきギタリスト、レニー・ケイもとても好き(初来日公演には行けなくて残念だった。確かニール・ヤングと同じ日での公演で先にチケットを購入していたので)。ソロ・アルバムも地味ながら時折聴きたくなるものだ。

私は日本人なので日本が好き。日本の美しい言葉や文化が沢山ある。でも、元来の舶来趣味は軌道修正できずに今も進行している。そんな自分を少しは追想できる位の年月と年齢になってきた。すると、私の好きなものの大きなキーとなるものたちが、パリ、ロンドン、ニューヨークにあると気付く。意図している訳でもなかった事柄が自然と結びつき連鎖し合う。時には世紀を超えたものでもある。なんと!素晴らしいことだろう〜とまだまだこの見知らぬ旅は続き、さらに繋がり絡み合い、歓喜と混乱で頭と胸がいっぱいになっていくのだろう!

パティ・スミスと親交の深かった人達やパティのアイドル、またはパティをアイドルとして影響を受けてきたアーティスト達の多くに好きな世界がある。最愛の夫フレッド・スミス(元MC5の”フレッド・ソニック・スミス”)に先立たれ、双子のような親友ロバート・メイプルソープエイズで亡くなり、ウィリアム・バロウズも亡くなった(追悼アルバムがある)。ジェフ・バックリーカート・コバーンも亡くなった。子育ての時期が過ぎるとパティはまた表現者として復活し今も現役だ。年は重ねても変わらない。老眼鏡を手にしてポエトリー・リーディング。相変わらず素敵なパティは今年の12月30日で62歳。誠実さと優しさ、激しさと厳しさ、凛々しさと愛らしさすら感じるパンク詩人☆今なお、健在なり!

補足:このパティ画像は最初の出会いのお写真ではありません(残念ながら間違いで捨てられてしまったダンボール箱の中に持っていた音楽専科は入っていたので)。