大好きなマリアンヌ・フェイスフル(Marianne Faithfull)さま♪

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”アイドル”という響きはポップでもあり深いものでもあると思う。でも、此処ではあまり深く考えない。思いつくままに、私が夢中になったものを綴るだけ。”言葉には力がある”と思う。と同時に私は”言葉”というものを信じたいのだとも感じる。何故なら、インタビュー記事が大好きだし、歌詞の中の一節、あるいは一言が突き刺さったままであるものが結構ある。そんなことを考えたりしていた10代から差ほど大して進歩のない私...どうしたものか、このまま生きるのだろう。

人は時に世界一、自分が不幸者であるかのような被害妄想に陥ることがある。私は重症ではなかったけれど一時期のみ(一瞬ともいえる)。ただ、そういう時に詩を聴き、その歌声の人を想う。そして、救われてきたようにも。マリアンヌさま☆大好きになったのは『ブロークン・イングリッシュ』を買ったその日から。なので、もうかなり長い間大好きなお方。初めて聴いた作品だった。復活後でもありお声はかなり潰れていた。でも、その後、初期のアルバムを聴くまではそのようなお声の方だと思っていたので、その違いにビックリ!した。そして、可憐な容姿にも驚き、一層大好き〜♪となってゆき、今日に至る。伝記本を読んだりしていてストーンズとの関係、特にミックとの関係に若い私はかなりショックを覚えた。まだ、ストーンズの音楽は聴いたことがなくて、知りもしないのにマリアンヌさまを裏切った人=ミック・ジャガーという安易な図式が出来上がっていた。ところが、色々音楽を聴いていく中で、やっぱりストーンズが聴きたくなる日がやってきた。私はその月に買う予定のレコードがあったので、まだ幼い弟にストーンズを買うようにお願いした(というと綺麗だな。企んだのだ、彼は私の好きなものを先ず否定はしないから。ごめんね♪)。

初期のカバー曲が大半のアルバムだったので、二人とも直ぐに好きにはならなかった。それから、2.3年経った頃だろうか?「ハイドパーク」のライヴを観る機会に恵まれ、マリアンヌさまも少し映るので嬉しかった。そして、この動くストーンズのライヴを観終えた頃、既にすっかりミックに魅了されてしまっていたし、ストーンズの音楽やその映像から感じられる色彩や雰囲気が”カッコイイ!”と思えた。ミックが何故素敵な女性達にモテルのか...なんとなく感じられた。マリアンヌさまとミックのツーショットは大好き!!お似合いだもの。でも、運命には逆らわれない、時代も関係しているだろうし。

ボウイの「1984フロアーショウ」の中に尼僧姿のマリアンヌさまが登場され、ボウイとデュエットするシーンがある。公の場に復帰された日でもある。60年代の英国ポップス界の華のおひとり。貴族の血をひくお方が、突如スキャンダラスの女王に。警察沙汰、ドラッグ、アルコール、自殺未遂、男性恐怖症からかレズビアンへ....と転落、どん底まで堕ちる。しかし、地獄を知ったものが這い上がる時の精神力に私は慄き、畏怖の念を抱く。私にはできない。

デレク・ジャーマンが「ブロークン・イングリッシュ」のビデオ・クリップを手掛けたことにより、デレク・ジャーマンを知りその後、遺作の「ブルー」までずっと観てきた。そのビデオが初めて動き歌うマリアンヌさまのお姿だった。ハイヒールに黒のレザーのミニスカート。嘗ての可憐なお嬢様のお姿ではなかったけれど、涙した。エレクトロなバックのサウンドに、あのダミとした重厚なお声がクールだった。それから、90年頃だったと思う、来日公演に行った。東京にいたので東京公演だった。満席ではなく招待チケットも出ていた程だともお聞きした。気品は失われることはない!でも、随分体型は崩れておられたけれど美しかった、とても☆ピアノとヴォーカルのみだった。後ろには綺麗な大きなお花がオブジェのように輝いていた。シンプルな舞台と構成、黒いドレスのマリアンヌさま。あのお声そのものだった、当然ながら。私はその頃はフレンチ・ポップスやシャンソンも聴くようになっていたので、そのライヴはなんとなく”シャンソン”(イメージ的な、言葉の意味ではなく)のような気がした。あの映像が頭の中にある。もう17.8年も前だとは思えないほど。会場は大人の方が多かったようだけれど、空席が目立ったことが不思議だった...。