『木靴の樹』 エルマンノ・オルミ監督 (1978年)

cinema-chouchou2007-12-11


木靴の樹/L' ALBERO DEGLI ZOCCOLI
   1978年・イタリア映画
監督・脚本・撮影:エルマンノ・オルミ
出演:ルイジ・オルナーギ、オマール・ブリニョッリ、ルチア・ペツォーリ、フランコ・ピレンガ、ロレンツォ・ペドローニ

エルマンノ・オルミ監督作品は残念ながら大半が日本公開されていない...こういう事がとても多い。『木靴の樹』はカンヌでパルム・ドールを受賞していて世界各国で絶賛されたもの。お陰でようやく日本でもエルマンノ・オルミ監督初公開となった作品。監督の特色でもあるけれど、出演者は全て素人のその土地で生きる人々。農民が地を耕す姿を演じるのではなく耕す姿を映し出している。なので、3時間を越える大作ながら、終始一貫したもの、統一感のようなものがあり、私は長く感じない。主に4つの家族の姿を四季を通じバッハのオルガン曲と共に綴られてゆく...監督のお優しい心の眼差しに溢れ涙する。辛気臭い映画だと思われるお方もおられるかもしれない。巨大な製作費とセットや優れた俳優方の揃う豪華さは微塵もないのだから。でも、それを超えることを可能にするのだから凄い!低予算で役者は素人の人々、脚本から撮影まで監督が担う。この徹底した姿勢が一体感となり感動を伝えるのだろう。繊細で細部のあらゆる箇所に反応してしまう。あまりにも物質的な豊かさの中で成長した無知な私故に。この映画が大好きで、また、19世紀末という世界中の時代が好きなこともあり、社会勉強のように関する歴史ものを読んだりもした。ほんの少しだけれど知らない世界を感じることが出来て嬉しい。これらが心の糧だと想っている。お金では買えない、形として残るものだけが財産ではないし、私は歳と共に心の財産を優先するようになっているとなんとなく感じているところ。

ミネク少年の父バティスティは、神父の熱心なすすめにより息子を学校に行かせることにする(農民の子に学問は不必要だという諦念があるようだ)。その往復12キロの道程をミネク少年はたった一足しかない木靴で通う。しかし、ある日片方の木靴が割れてしまう。明日学校に履いてゆく代わりがない。父は”母さんには内緒だぞ。”と立ち木を伐って新しい木靴を夜中じゅうかけて作ってくれた。しかし、そのことが地主に知れ一家は村を追われることになる。その夜の光景はまるで19世紀末のイタリアの風景なのではと想うくらい伝わるものがある。この場面に限らず!農民たちが力を合わせて...という美談ばかりではなく、逆に生きるために精一杯の人々のずるい一面も描き出す。洗濯物を手押し車で押す少女たち、かくれんぼして遊ぶ幼い子供たち、心痛な面持ちの神父、君臨する地主...そして、物乞いする者の登場場面も印象的!子供たちはその乞食をくすくすと笑う。そこで、母が子供たちをたしなめるように言う。

     ”貧しい者ほど、神に近いのだ。”

という言葉は力強いものに想えた。そして、ミネク少年の笑顔と共に忘れられない言葉かもしれない。私は此処で、”少女幻想”だのと好き勝手に長年思い巡る鈍い頭の中を整理し、断片的に乱雑に記しているに過ぎない。映画に限らず、得たものは年月が経つ中で私の中で大きな心の財産となるように想う、今もその過程ながら。『木靴の樹』を80年代半ばに知った。バブルな日本でその頃を思春期として過ごしてきた私なんぞがこの映画の中の貧窮に喘ぐ農民たちの生活をどう分かると言うのだろう...でも、ずっと忘れられない映画であり、この小さなミネク少年の愛らしい表情と共に焼きついてしまっている(※所謂”美少年映画”ではない!)。書き綴るとかなり長くなりそう...。私は同じイタリアのミラノ出身のルキノ・ヴィスコンティ監督が大好きだけれど、エルマンノ・オルミ監督の作品とは全く異質のもの。どちらが優れているという問題ではないけれど、ヴィスコンティ作品を先に観ていたお陰でその差異の中に考えさせられるものがあったようにも想う。それは、厳然と其処に在る階級制度の歴史。その中でも農作民たちの生活の痛ましい程の貧窮。それを哀れだと想うのとも違う。そういう厳しい歴史を知ることに喜びを感じる。

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