『クリスチーネ・F』 ウルリッヒ・エデル監督 原作:クリスチアーネ・ヴェラ・フェルシェリノヴの手記『かなしみのクリスチアーネ』 (1981年)

cinema-chouchou2009-08-25

『クリスチーネ・F』のこれまでの纏め

クリスチーネ・F/CHRISTIANE F.  
1981年・西ドイツ映画
監督:ウルリッヒ・エデル 原作:カイ・ヘルマン、ホルスト・リーク 脚本:ヘルマン・バイゲル 音楽:デヴィッド・ボウイ、ユルゲン・クニーパー 出演:ナーチャ・ブルンクホルスト、トーマス・ハルシュタイン、イェンス・クーパル、クリスチーヌ・ライヒェルト、クリスチーヌ・レハル、デヴィッド・ボウイ

<ボウイを見つめる美少女クリスチーネ(ナーチャ・ブルンクホルスト) 映画『クリスチーネ・F』より再び>

以前綴った映画『クリスチーネ・F』の劇中でのボウイのライヴ映像を再び観ていて涙が止まらないのだった。「ボウイ館」でそのことは触れてはいない。今も目が痛くてたまらないけれど、綴っておかなければ...と想うままに。この映画の中のクリスチーネ(ナーチャ・ブルンクホルスト)は美少女。その少女が(友人たち少年少女も)転落の道を辿る。この画像は、その大好きなボウイのコンサートの舞台を見つめるクリスチーネ。周りの笑顔のファンとは違う。この眼差しに私は胸が締めつけられる程に感情移入できる。クリスチーネにとってデヴィッド・ボウイとは神に等しいのだ。プラットホームでボウイのコンサートを知る時、クリスチーネは劇中唯一の笑顔を見せる。あの瞬間、あの場面が大好き。また、このボウイのライヴを見つめ微かな笑みのようなものも感じられるけれど、夢か幻か、その場の自分さえ分からない。得たことの無い感情を初めて覚えた時の戸惑いは誰もが体験しているだろう。私はボウイを最前列で拝見したことはないけれど、このクリスチーネの心の拠り所である存在がボウイなのだと共感できる。13歳の美しい少女。私は少女映画(少年も)が好きなので色々なテーマのものを観るけれど、この映画は異色中の異色。おせっかいな説明(教訓)など一切無い。すべて少年少女たちの行動を映す。悲しいのは、大好きなボウイのレコードをお金に換えてまでヘロインという魔に引き寄せられてしまう...。少女たちに笑みを与えることができるのは日常を共に過ごす大人たちではない。ボウイだから感情移入できるのかもしれないけれど、この思春期の心の揺れ、葛藤、不安、孤独感をどのように通過してゆくのかは人それぞれ。立派な大人になれる人もいれば、まだこんな具合の私のような者もいる。少女から大人への通過儀礼に失敗したのだろうか。よく分からないので、こうして想いを綴る。いつになれば解放されるのだろうか。死に至るまでの覚悟が必要なのかもしれない。

2009.4.25.

<『クリスチーネ・F (われら動物園駅の子供たち)』のナーチャ・ブルンクホルスト:NATJA BRUNCKHORST>

『クリスチーネ・F』は、クリスチアーネ・ヴェラ・フェルシェリノヴの手記『かなしみのクリスチアーネ』、あるいは『われらツォー駅の子供たち(われら動物園駅の子供たち)』を原作とした映画化。何から書き出せばよいだろう...という程、この作品から多岐に渡る想いがある。やはり、この映画を知るきっかけとなったのは、私の何処までもいつまでもヒーローであり続けているデヴィッド・ボウイ様のサントラから。ボウイはこの原作が出版された1977年はベルリンに住んでいた(かの「ベルリン三部作」の名作を作り出した時代)。実在するクリスチーネ.F.は1962年5月20日、北ドイツ生まれ。そして、この1981年の映画の中でクリスチーネに扮するナーチャ・ブルンクホルストは、1966年9月26日、ドイツ・ベルリン生まれ。日本公開は1982年。私は正しく思春期でボウイが出演していなければ観ただろうか...と想ったもの。かなりの衝撃を受けた!そして、陰惨たる想いの中、原作も買って一気に読み終えたものだ。この映画に主演している少年少女たちは初出演の素人の可愛い人たち。また、驚くべきことに、実在のクリスチーネもとても美少女だった!そして、12インチ・シングルをリリースしたりもしていた(そのバックにはアインシュテュルツェンデ・ノイバウテン(Einsturzende Neubauten)に僅か15.6歳の頃にメンバーとなっていたアレキサンダー・ハッケ(Alexander von Borsig)ことボルジヒもおり、当時のボーイフレンドだった)。ハッケはSprung aus den Wolkenにも在籍していた早熟の天才。こんな具合に繋がってゆくので面白い。

13歳の少女の青春映画というにはあまりにも冷徹に監督は描き出す。クリスチーネの現実に向き合うことは死の直前であるという凄まじいもので、監督の姿勢には一切甘えのようなものは感じられない。故に、”ツォー駅の子供達”の心象風景がドキュメンタリーのようにヒリヒリと伝わるように想う。ウルリッヒ・エデル監督作品はこの映画が日本初公開で、その他『ブルックリン最終出口』や『ラスプーチン』など幾つか観ている。また、音楽の担当はボウイの9曲の楽曲の他、ユルゲン・クニーパーが参加している。ヴィム・ヴェンダース作品などでも有名なお方。こんな風に今の私にも大きな影響を与え続けるデヴィッド・ボウイという存在は、いったい何だろう!と不思議で仕方がない。お話が行ったり来たりするけれど、このクリスチーネの友人だったバブシーという少女の死が報道される。この実在のバブシーがまたとても美少女だったので、この早すぎる死(犠牲)が痛く感じられた。クリスチーネはデートレフ(この少年も可愛い)に恋をしている。このボーイフレンドが先に薬物に手を染める。そのお金を調達するために、彼は男娼となっていた...そして、この13~14歳の少年少女たちの生活は薬物依存に突き進んでゆく。これらのお話が全て実話であるということ。そして、実在のクリスチーネがその死を目前にその世界から脱却できたこと、其処に至るまでの心の空虚さや心理状態などを私なりに想う...良かった!死なずに。ボウイは映画の中でも”David Bowie”として出演していて、ベルリン・ツアーの中で『ステーション・トゥ・ステーション』を歌うボウイ(とても素敵♪)を、夢見心地に見上げるクリスチーネの表情が忘れられない。地下鉄のポスターで大好きなデヴィッド・ボウイのコンサートを知る。その時の微笑んだ愛らしい表情!その気持ちは私にもあまりにも伝わるものだったから。

地下鉄のプラットホームに一人残されたクリスチーネの目の前で、公演をしらせるデビッド・ボウイーの大ポスターが貼られる。それを目にした時の彼女の微笑。それは何といったらいいのだろう。実に ― それこそ神に対面した時の笑顔で ― 見事な微笑をうかべ、これが映画を通じて唯一の微笑である。

作詞家の阿久悠氏がパンフレットに寄せたものの中でこのように記されている。さらに、この映画に詩を感じるとも。なので、ポエメンタリーだと興味深いお言葉が記されていた。

家にいる時の私には、デビッド・ボウイーのメロディだけが安らぎだった。彼の曲を聴いているとき、私は”普通の女の子”に戻れた。

このように語るクリスチーネはヘロインに手を出し、転落の道を辿る。その姿をウルリッヒ・エデル監督は淡々と描く。これもまた、感じ方は世代感というもので様々だろうと想う。私は幸いにも薬物に縁のない、バブリーな世代を思春期として過ごしてきた日本人。だからと言って、”私には関係ないわ、こんな荒んだ世界の汚い少女たち”とは想わない!私自身とは違う環境の人々の生活や心をこうして感じることができる。クリスチーネの心の闇や苦悩は分からないかもしれないけれど、想像したり思考したりすることは出来る。もっと、彼女に共感できる少年少女(だった人々も含めて)は、きっと想像以上に沢山世界中にいて今を生きているようにも想う。

2007.12.23.

<映画『クリスチーネ・F』とサウンドトラック>

1981年の西ドイツ映画『クリスチーネ・F』にボウイは本人役として出演し、劇中『Station To Station』を歌うライヴ・シーンで登場。とっても、カッコイイ!!(いつもながら♪)この映画のために、ボウイ自ら写真など資料を提供している。実在のクリスチーネ・F(当時は未成年だったので)こと、クリスチアーネ・ヴェラ・フェルシェリノヴの手記『かなしみのクリスチアーネ』、あるいは『われらツォー駅の子供たち(われら動物園駅の子供たち)』を、ウルリッヒ・エデル監督が映画化したもので日本公開は1982年。映画の中でクリスチーネに扮する少女ナーチャ・ブルンクホルストのことなどを『クララの森・少女愛惜』にて思いつくままに綴ってみた。『ボウイ館』ではそのサントラ盤の内容を記しておこうと想う。※映画の音楽担当は、ボウイの9曲の楽曲とユルゲン・クニーパによるもの。

2007.12.24.

関連:ボウイを見つめる美少女クリスチーネ(ナーチャ・ブルンクホルスト) 映画『クリスチーネ・F』より再び♪ : クララの森・少女愛惜

クリスチーネ・F [DVD] クリスチーネ F ― オリジナル・サウンドトラック かなしみのクリスチアーネ―ある非行少女の告白 (1981年)

『プリティ・ベビー』 ルイ・マル監督 (1978年)

cinema-chouchou2009-08-21

『プリティ・ベビー』のこれまでの纏め

プリティ・ベビー/PRETTY BABY
 1978年・アメリカ映画
監督:ルイ・マル 原案:ルイ・マル、ポリー・プラット 脚本:ポリー・プラット
撮影:スヴェン・ニクヴィスト 音楽:ジェリー・ウェクスラー
出演:ブルック・シールズキース・キャラダインスーザン・サランドン、フランセス・フェイ、アントニオ・ファーガス、バーバラ・スティール、ダイアナ・スカーウィッド

ルイ・マル監督の1978年のアメリカに渡っての第一弾作品である『プリティ・ベビー(Pretty Baby)』。この映画は美少女時代のブルック・シールズの可愛らしさ、美しさを堪能するのみ!での鑑賞が続いた。徐々にキース・キャラダインのファンにもなってしまい、『ロッキー・ホラー・ショウ』で既にチャーミングなスーザン・サランドンは気になっていたので、ここでさらに好きになる。噂では当時、ルイ・マル監督と恋仲だったとか...でも、キャンディス・バーゲンは?(お人の色恋沙汰なのにちょっと気になるこのミーハーさ)。舞台は1917年のニューオリンズ。そんな古き時代のアメリカの雰囲気、娼館の様子、女性たちのお洋服や髪形などが美しい映像と共にとてもノスタルジック。このカメラワークは特筆すべき!な個人的にベスト3に入るお方のスヴェン・ニクヴィストベルイマンタルコフスキーの撮影も手掛けてこられた)。12歳の少女バイオレット(ブルック・シールズ)の娼館に生まれた故の運命というか宿命のようなお話。若い写真家の男性ベロック(キース・キャラダイン)との恋、結婚、破綻...切なく甘美な余韻が残る大好きな映画。でも、なんてたって12歳のブルック(ブルッキーと80年代は呼んでいた)ちゃんの魅力に尽きると想う♪

ルイ・マルが語る『プリティ・ベビー』とルイス・キャロルの関係》

<質問>「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」といえば、『プリティ・ベビー』を見ながら、キースキャラダイン扮する写真家ベロックとブルック・シールズのプリティ・ベビーの関係からルイス・キャロルとアリス・リデルの関係を想起せずにはいられなかったのですが、当然ながら意識的に関連づけて描かれたのでしょうか。<ルイ・マル>もちろんです。そう、それは最初からずっと考えていました。実際、ベロックが撮った少女娼婦の写真はルイス・キャロルが撮った少女の写真によく比較されるし、酷似しているのです。ベロックの大部分の写真は若い娼婦たちの写真ですが、その写真集のカバーにもなっている全裸の少女の写真は出色のすばらしさで、少女写真家の第一人者であるルイス・キャロルの写真をしのぐ異様な魅力と不安にみちた美しさです。

『プリティ・ベビー』や、以前の『地下鉄のザジ』や『ブラック・ムーン』などのお話、撮影担当の素晴らしき!スヴェン・ニクヴィストのことなどにも触れながら、このように語っておられ、”やっぱり〜♪”と確信を持て嬉しくなったのでした。

2007.10.28.

関連:プリティ・ベビー (ルイ・マル監督) : クララの森・少女愛惜

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『白い家の少女』 セルジュ・ブールギニョン監督 原作:レアード・コーニグ (1976年) 主演・ジョディ・フォスター

cinema-chouchou2009-08-20

『白い家の少女』これまでの纏め
白い家の少女/THE LITTLE GIRL WHO LIVES DOWN THE LANE
1976年 カナダ/フランス/アメリカ合作映画
監督:セルジュ・ブールギニョン 
製作:ゼヴ・ブラウン、ドニ・エロー
原作・脚本:レアード・コーニッグ(レアード・コーニグ)  
撮影:ルネ・ヴェルジェル
音楽:クリスチャン・ゴベール
出演:ジョディ・フォスター/マーティン・シーン/アレクシス・スミス/スコット・ジャコビー/モルトシューマン

丘の上の白い家に少女リンは一人で住んでいた。詩人の父は既に入水自殺を遂げ、何冊かの詩集と銀行預金、そして毒薬の包みを娘に預けていた。父はリンに「離婚した母が訪ねてきて、もし、わがままを言ったらこれを飲ませなさい。」と言い残していた。リンはまだ父が生きているように取り繕っていた。しかし、不審に思う家主のハレット夫人とその息子フランクが詮索しだし、恐ろしいことが始まっていく・・・。

★『白い家の少女(路地の奥に住む少女)』の作者レアード・コーニグが自ら脚本も書いた、正しく天才子役(否、この頃から素晴らしいアクトレスだったと思う!)ジョディ・フォスターが13歳の頃の、初主演作品。この作者は「レッド・サン」「華麗なる相続人」などでも有名なレアード・コーニグ。私がジョディが好きなのはもうこの頃から変わらない涼しい眼差し。ここでも少女なのに大人のように振舞ったり、でも時折見せる笑顔はあどけない。この狭間がたまらない。クールな視線と綺麗なブロンドの髪。お部屋の中の暖炉やテーブル、紅茶セットやアーモンドクッキー。変質者の男性にマーティン・シーンが扮している。足の不自由な優しい少年マリオとの恋。ショパンのピアノの調べ、霧と小雨にけぶる美しい映像...大好きな作品なのです。ジョディは今も好きな女優さま。彼女は自分の本当の父親の顔を知らない。でも、この映画の中では父との生活、父のことが大好きで父の言葉は神聖なものだったのだと思う。少女リンは、孤独と死の翳りを傍らにマリオ少年への愛を見出す。かなり強度なファザー・コンプレックスのリンの思春期の一ページが静かなサスペンス仕立てで描かれた秀作!あの少年ぽい、歩き方にもとてもキュンとなってしまうのです。
2006.6.23.

<エミリー・ディキンソン(EMILY DICKINSON)と『白い家の少女』の少女リン>

最近予定外の事柄に対応するため慌しく過ごしていたけれど、これも人生のお勉強だと想う。ようやく少し落ち着きかけているというところ。平穏な気持ちでいたいのである詩集を読んでいた。19世紀末のアメリカの女性詩人エミリー・ディキンソン。久しぶりに取り出してみた。元々好きな詩人なのだけれど、読んでいるとふと、ジョディ・フォスターの初めての主演映画『白い家の少女』が浮かんだ。その13歳の少女リン・ジェイコブズ(ジョディ・フォスター)は父を愛し、またエミリー・ディキンソンの詩集を持ち歩き愛読していたのだった。確認するために観直してみた。洋書でタイトルはハッキリしないけれど確かにエミリー・ディキンソンだった!

エミリー・ディキンソン(Emily Elizabeth Dickinson)は、1830年12月10日のマサチューセッツ州生まれ。生涯独身で1886年5月15日に腎臓炎で55歳の生涯を終えている。エミリー・ディキンソンの作品の多くは遺言に従い妹ラビニアが焼却している。でも、ラビニアは詩篇だけは惜しくて焼却出来ずに残り、こうして私に深い感銘を与えてくださるものとしてあるのだ。エミリー・ディキンソンは映画の中の少女リンと共通するところが多いと感じる。エミリーもリンも共に父親は詩人であり、独自の厳格な信念を持って生きて来たお方のようだ。そして、娘は共にそんな父、及び一緒に暮らした家を愛していた。エミリーの時代とこの映画の時代は違うけれど、父親という存在が家と密接であること、それは私も未だに拭い去ることのできないものとして想い出が残る。エミリーは自ら作品を出版社に売り込むような気持ちも無く、また記録に残された学業時代と、その後の僅かな外出以外に家から出ることをしなかったという。1874年の父の死後、一切外出しなくなったそうだ。親友ヘレン・ハント・ジャクスンとの書簡、そして”死”をテーマにした詩篇も多く書かれてゆく。訪問者があっても滅多に会うこともせず、夏冬を通じて白い衣服を纏っていた。

女が身を白く飾ることは 尊いこと 神さまが似合うとおっしゃれば その汚れのない神秘を身にまとうことも

エミリーの隠遁生活は次第に強くなってゆく。父の死後40代初め頃のエミリーにとって「もはや侵すことの出来ぬ神聖な」もの(家)となり、その孤独の生活は「彼女に許された唯一の存在の方法であったのだろうと想う。」

参照:(リチャード・チェイスが語った言葉)

2008.3.10.

《原作レアード・コーニグの『白い家の少女』とジョディ・フォスター演じる少女リンの髪の色》

レアード・コーニグの『白い家の少女(路地の奥に住む少女)』を読み返して謎が解けた!!と大喜びしていた私。ずっと不思議に想っていたことだけれど、ジョディ・フォスターが映画『白い家の少女』の少女リンを演じた時、ジョディの髪が染められていたのがずっと謎だった...ジョディは生まれ持った美しいブロンドの髪の少女なのに、映画の中では微妙に違うブロンド色だった(気のせいではないと想う)。

久しぶりに再読してみると、勝手に謎が解けたようで気分が良い。原作の中で、13才のお誕生日のお祝いのケーキとロウソクと薄暗いお部屋の描写の場面。映画とかなり二重に浮かぶ、可愛いジョディ♪

焔が二重になって輝いている鏡の前で、少女はじっと立っていた。ゆらめくロウソクの光を浴びて、彼女の両手と顔は青白く、蝋のように白かった。ふだんは樫の落葉色をしている長い髪の毛は、いま赤銅色に染まっていた。

ジョディの本来の髪ではロウソクの光で赤く映えないという美術的な理由からだったのだろう(謎が解けたと言いながらも勝手な想像に過ぎない)...まあ、とにかくやれやれ☆以前も少女リンの愛読書であるエミリー・ディキンソンの詩集のことで、映画を見返したりして納得していたこともあった。やはり、かなり大好きな少女リンなのだろう☆

2009.2.10.

関連:クララの森・少女愛惜

白い家の少女 (1977年)
白い家の少女 [DVD]

『丘の家のジェーン』 ケヴィン・サリヴァン監督 原作:ルーシー・モード・モンゴメリ (1989年)

cinema-chouchou2009-08-19

丘の家のジェーン/LANTERN HILL
  1989年・カナダ映画
監督:ケヴィン・サリヴァン 原作:ルーシー・モード・モンゴメリ
脚本:ケヴィン・サリヴァ/フィオナ・マクヒュー
撮影:ブライアン・トムソン 音楽:ジョン・ウェルズマン 
出演:マイロン・ベネット(ジェーン) コリーン・デューハースト (ヘプシバ) サム・ウォーターストン(父アンドリュー) サラ・ポーリー(ジョディ) パトリシア・フィリップス(母ロビン) ゾー・コールドウェル(祖母ケネディ夫人)

ルーシー・モード・モンゴメリ原作の『丘の家のジェーン』の映画化。監督は『赤毛のアン』のケヴィン・サリヴァン。ふたりの少女ジェーン(マイロン・ベネット)とジョディ(サラ・ポーリー)の見所が多く、さらに大人たちも素晴らしい俳優揃い。

観直さなければ覚えていないことがあるので覚書。
ジェーン役のマイロン・ベネット(12歳)の兄ガレス(14歳)と弟ザカリー(9歳)も共演しているそうだ。ついつい、少女を優先して観てしまうのでこうして幾度と気になることがあれば観直さなければならない。そして、常に新たな発見にトキメクのだけれど。

また、同じくケヴィン・サリヴァン監督の『少年たちの夏』に弟ザカリーが出演、そして、ジェーンの母親ロビン役を演じていたパトリシア・フィリップスも共演している。

パトリシア・フィリップスとマイロン・ベネットは、レナード・モネイ監督の『ザ・グッド・マザー』(ダイアン・キートン主演)でも共演している。

この『丘の家のジェーン』のヘプシバ役のコリーン・デューハーストは『赤毛のアン』ではマリラ役のお方。

こんなことを書いているとキリがないけれど、父親アンドリュー役のサム・ウォーターストンというと私の好きな女優様のおひとりであるミア・ファローとの共演作が浮かぶ。『華麗なるギャツビー』に『ハンナとその姉妹』や『セプテンバー』とウディ・アレン映画がある。そして、『カイロの紫のバラ』にはジェーンの祖母ケネディ夫人役のゾー・コールドウェルが出演されていた。

関連:『丘の家のジェーン』 ジェーン(マイロン・ベネット)とジョディ(サラ・ポーリー) 原作:L.M.モンゴメリ : クララの森・少女愛惜

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『追想 愛と復讐と男の戦い』 ロベール・アンリコ監督 (1975年)


ロベール・アンリコ監督がフィリップ・ノワレロミー・シュナイダーを主役に描かれた1975年作品。勿論、音楽はフランソワ・ド・ルーベ!邦題のサブタイトルにあるように”愛と復讐と男の戦い”のドラマ。美しい妻クララ(ロミー!!)と可愛い娘フロランスと愛犬マルセルと共に幸せな日々を送っていた医師のジュリアン。時代は1944年の連合軍によるノルマンディ上陸作戦が決行時のフランスの片田舎。危機感を持ちながら過ごしている人々、負傷した人々の治療をしているのだ。けれど、悪夢が襲う!この世で最も大切な愛する妻子が惨殺されてしまった...もう、ここから、淡々とした巧い味わいのある演技でフィリップ・ノワレの行動を見守る。祖父の古いショットガンを手にして、ドイツ軍の兵士に次々と復讐してゆく。その間、ジュリアンの追想が常に過ぎる。美しいクララに一目惚れした日のこと、結婚式の日、娘の小学校の卒業式の日...この作品では美しいロミーの笑顔を沢山拝見できる。その美しさがさらに悲劇に哀愁を帯びる。血まみれの復讐劇ではなく、アンリコの描き方は此処でも冷静でカッコイイ!

フィリップ・ノワレも好きで、『地下鉄のザジ』で知ったお方。飄々としたとぼけたコメディ・ドラマも絶妙ながら、このような役も演じることができるお方。私はロミー・シュナイダーがとても好きなので、その短い悲運の人生を想うと哀しい。この映画の中で笑うロミー、悲しそうにしている場面...すべてが美しく涙を誘うのだ。これは、全く個人的な感情のことで、もっと冷静に映画だけを観ることができたなら...とも想うけれど、私はただの映画好きなのでこんな具合。

戦争映画が好き!でも、戦車や血まみれシーンは無くてもいい。戦地で闘う兵士たちにも様々で恐怖に怯えながら、戦後も何かにとらわれてしまった方も多いだろう。また、戦時下のその国々で生きていた人々を想うとたまらない。このような戦場の陰を描いたもの、そんな時代に芽生えた恋や友情、家族の絆...などを描くことで訴えてくるような作品が大好き!ロミーというと『離愁』というジャン=ルイ・トランティニャンと共演した作品が想起される。『追想』と同じくパスカル・ジャルダンによる脚本でもあるので不思議ではない。

今、オリンピックの中、驚異的な人々を観て歓喜と感動で泣いてばかりいる。泣き虫の私ながら、その涙にも色々ある。泣いたり笑ったりしていると疲れるけれど、怒ることよりはずっと楽でいられる。

追想 愛と復讐と男の戦い/Le Vieux Fusil
1975年・フランス映画
監督:ロベール・アンリコ 原案:ロベール・アンリコ、パスカル・ジャルダン 脚本:パスカル・ジャルダン、クロード・ヴェイヨ 撮影:エティエンヌ・ベッケル 音楽:フランソワ・ド・ルーベ 出演:フィリップ・ノワレロミー・シュナイダー、ジャン・ブイーズ、マドレーヌ・オーズレー、ヨアヒム・ハンセン、カトリーヌ・デラポルテ、カロリーヌ・ベーム

http://brigitte.ocnk.net/product/157

『このブログについて』

cinema-chouchou2009-08-17


基本的に好きな映画ばかりの感想や覚え書きのようなサイトです。幼児期・思春期・青春期の少年少女たちの登場する映画は大好きです。時々、大人になっても子供時代が色濃く描かれている作品も入ります。美少女や美少年はあくまでも私の好みです。また、映画が大好きなので少年少女の周りの大人たち、お話(原作もあれば)、監督や俳優、映像や美術、お衣装や小道具...と優れたものが多数あるのですが、ただ一瞬の少女や少年の姿をとどめたその場面のみでも心に焼きつくものもあります。特に少女映画は、『クララの森・少女愛惜』と密接に連携した場所にもなるかと思います。

その他にも、同性愛・女性映画・耽美・アート・家族・文芸・歴史・フィルムノワール・ミステリー・コメディ・ミュージカル...etc.欧米映画が主となりますが、日本の昭和の映画にも好きな作品が多くありますので時々観直して感想をとどめておきたいと思います。元々、hatenaさまのブログで「映画大好き!Cinema ChouChou」を開設させて頂きましたが、古いメールとパスワードが使えないもので(ログインできなくなり)心機一転、「映画の宝石箱★美しき菫色の刻に愛を込めて★ナルキッソスの鏡あるいは自惚れ鏡♪」から引越して戻らせて頂きました。

そして、どうしても私の体験や想い出を通しての綴りになってしまうので、私自身の少女時代(子ども時代)の大切な想い出たちを欠くことはできません。なので、これまで胸トキメク存在であった方々やモノたち、アイドルのことも音楽や映画、少女マンガや文学や絵画...と共に記してしまいます。

これまで観た映画で大好きな作品をまだほんの少ししか取り上げておりません。出来れば観直して更新してゆこうと思っています。主軸は「少年少女が主役の映画」と「同性愛映画」となると思います。でも、「男の美学」も大好きですし、文芸もミステリーもミュージカルも...と色々です。

かなり偏りがございますが、お気軽にコメントやTBにお越しください。
どうぞ末永く宜しくお願いいたします!

『私の好きな映画の主題歌・挿入歌』

永遠の名曲〜まったく個人的な名曲や感動曲などを思いつくままに随時連ねてゆきます♪
※すべて歌詞のある歌たちです。好きなインストのテーマ曲も数多いのでまた別記いたします。

《あ》アイドルを探せ/ 愛の運命/ 愛のために死す/ 愛のレッスン/ 赤と青のブルース/ 朝7時/ 明日に太陽を/ アニーのテーマ/ アヴァンテュール/ 甘い生活/ 雨に唄えば/ 雨にぬれても/ 雨の訪問者/ ある愛の詩/ ある愛の人生/ アル・デ・ラ/ アンジェラ/ アンナとジュリアン/ 言いだせなくて/ いそしぎ/ いつも心に太陽を/ 愛しのレティシア/ いるかに乗った少年/ インディア・ソング/ 美しき夜/ エマニュエル夫人/ エレーヌのシャンソン/ 男と女/ 踊ろう、調子よく/ オリジン・オブ・ラブ/ オルフェの唄/

《か》帰ってきておくれイエス/ 帰らざる河/ 風のささやき/ 哀しみの影/ ガラスの部屋/ ガラスの墓標/ 枯葉/ 可愛いパリ娘/ 河は呼んでいる/ キス/ 君住む街で/ キャバレー/ 禁じられた遊び/ ケ・セラ・セラ/ 恋の面影/ 恋の手ほどき/ 心遥かに/ ゴッドファーザー 愛のテーマ/ 今宵を楽しく/

《さ》サウンド・オブ・サイレンス/ サークル・ゲーム/ 酒とバラの日々/ ザッツ・エンタテインメント/ 去って行った彼/ さよならエマニュエル夫人/ さよならをもう一度/ さらば夏の日/ サントロペのお嬢さん/ サンライズ・サンセット/ シェルブールの雨傘/ ジグ・ジグ/ 自殺のよろこび(もしもあの世に行けたら)/ 死ぬほど愛して/ ジャニー・ギター/ シャル・ウイ・ダンス/ シャレード/ ジュテーム・モア・ノン・プリュ/ 自由を我等に/ ショウほど素敵な商売はない/ 勝利への讃歌/ 白い恋人たち/ スター誕生 愛のテーマ/ スタンド・バイ・ユア・マン/ 世界の終焉の香り/ セプテンバー・ソング/ センチメンタル・ジャーニー/ 空と大地と水/

《た》大頭脳/ 太陽の真下で/ ただひとたびの/ タワーリング・インフェルノ 愛のテーマ/ 男性・女性/ チム・チム・チェリー/ 追憶/ 罪はご婦人に/ つむじ風/ トゥナイト/ トゥルー・ラブ/ 時のすぎゆくままに/ 殿方ご免遊ばせ/ ドレミの唄/

《な》ナック/ 虹の彼方に/ 日曜はダメよ/ 望みは何かと訊かれたら/

《は》ハイヌーン/ バイ・バイ・バーディー/ ハイ・リリ・ハイ・ロー/ パリ・カナイユ/ 巴里祭/ パリの空の下/ 巴里の屋根の下/ バリ・ハイ/ パリ・パリ・パリ/ パリは燃えているか/ 遥かなるアラモ/ ハロー・ドーリー!/ 美女の中の美女/ 一晩中踊れたら/ ビビディ・バビディ・ブー/ 二人でお茶を/ フー・アー・ユー?/ フール・オン・ザ・ヒル/ フォーリング・イン・ラブ・アゲイン/ 双子姉妹の歌/ フレンズ/ ブロードウェイ/ ヘルプ!/ 慕情(恋ははかなく、恋はすばらしきもの)/ ボタンとリボン/ ポリー・マグーお前は誰だ/ ホワイト・クリスマス/

《ま》マイ・ウェイ/ マルセリーノの唄/ マンボ・バカン/ 見果てぬ夢/ 魅惑の宵/ ムーラン・ルージュの歌/ ムーン・リヴァー/ メロディ・フェア/ モア/ モリタート(マック・ザ・ナイフ)/ モン・パリ/ モンマルトルの丘/

《や》野生のエルザ/ 夜のストレンジャー/

《ら》ラーラのテーマ/ 旅情(ヴェニスの夏の日)/ リリー・マルレーン/ リラの門/ ローマの秋/ ローラ/ ローラー・ガール/ ロミオとジュリエット(キュピュレット家の祝宴)/

《わ》若草の萌えるころ/ わが祖国/ わたしに告げよ/ 私の運命線/ 私はイエスがわからない/ 私を愛したスパイ/

《数》 007は二度死ぬ/ 5つの銅貨/

《英》 J'AI PAS SOMMEIL/ LOVE etc./ PORQUE TE VAS/ T'EN VA PAS/